韓国に駐在三回、累計12年間の経験を生かして、日系駐在員の皆さまにサバイバル術をご提供します。
こんにちは、タモスです。
ブログ訪問頂きありがとうございます。
私は、昭和44(1969)年2月6日に東京都中野区に生まれ、国分寺市で育ちました。
私立大学付属中学校に進学し、高校・大学と受験を経験せずに大学まで進みました。 高校、大学と受験を経験していないことで、覚えるだけの教育を受けずに済み、さまざまな事象の因果関係や本質を追求したいという好奇心を抱くことができ、進取の気性に富んだ学生時代を過ごすことができました。
高校2年時には交換留学で渡米し、一年間コロラド州のロッキー山脈の麓の町でホストファミリーと生活し、異文化の経験をすることができました。 日本人とは歴史観も道徳心も違う人たちと交わり、黄色人種としての差別も経験し、日本人としての誇りを持ちたいと強く感じ帰国しました。
大学では経済学部にて国際経済論を専攻し、卒業論文は「日米経済摩擦」を取り上げ、主体なき日本の政治・経済の批判的な論文を書きました。 大学在学当時は80年代後半でバブル経済華やかしき時期でしたので、大学生といえば、バイトや遊びで明け暮れる人が多い時代でした。一方で私は当時社交的ではなかったので、比較的にまじめに英語と専攻の勉強に取組んだように思います。
大学卒業と同時に三菱系の産業機器メーカーに就職し、希望通り海外営業部に配属されました。 プラント(生産設備・工場)輸出の海外営業として様々国に海外出張する機会に恵まれました。特に韓国、シンガポール、インドネシア、サウジアラビアにはプロジェクトに携わり、これら出張先は今でも愛着がある国になりました。
29歳の時にもっと広い世界で仕事がしたいと、医療機器メーカーである今の会社に転職しました。同じくアジア担当の海外営業として、韓国、台湾、東南アジアなどを飛び回る希望の仕事環境を与えられました。 特に韓国は、三回の駐在を経て、累計12年間に渡り生活することになり様々な経験をすることができました。
一回目の駐在は35歳の時です。カメラ事業の子会社に一人で乗り込んで、医療事業の立ち上げに奮闘しました。 子会社とは云っても、日本人駐在員は唯一人。さらに会社では日本語も英語も通じない環境でした。 朝、出勤前に韓国語スクールに通い基本文法を学び、習ったばかりの文法と単語を業務で使いながら、なんとか仕事をこなす日々でした。お陰で、一年後には韓国語は業務で支障ないレベルまでになることができました。 事業立ち上げの仕事は、代理店から引き継いだ事業を自社へ移管しつつ、一人ずつ医療チームのメンバーを採用してOJTを通じて育成し、事業基盤を整えていきました。 事業基盤は、販売体制だけでなく、修理サービス、法対応(Regulatory Affair / Quality Assurance)の各機能も強化しました。 その結果、4年間で医療事業は軌道に乗せることができ、売上では三倍増を達成することができました。
二回目の駐在は4年間の本社勤務を挟んで、43歳の時でした。 今回は任せていた韓国人経営者の不正が発覚し解雇するのに伴い、事業の再建をミッションにする任務での赴任となりました。 健全経営と持続的成長と働き甲斐の会社作りを方針を掲げつつ、事業の再建に取組みました。 不正により解雇された旧経営陣とは裁判が5年間も続き、最終的に勝訴となりましたが、この間いろいろな問題が頻発しました。 旧経営陣からは嫌がらせで主要顧客である病院との不正取引疑惑を大手マスコミに告発されたり、税関からは不正輸入で起訴されたり、不当解雇で社員に訴えらえたり、代理店との賄賂疑惑で社員の懲戒処分が複数発生したりと予想を超える訴訟、告発事案が発生しました。 その都度法務、コンプライアンス、広報、財務、人事、物流の各部門を動かし解決を図ってきました。 これらの事案を通して、希少な経験をすることができました。 二回目の駐在7年間で社員数は三倍増となり、ソウル本社は移転、支店営業所を地方7都市に新規開所させ、修理サービス・トレーニングセンターも仁川市に新規にオープンすることができ、会社発展と事業拡大に大きく貢献することができました。
事業が安定したことを見て、韓国人経営者に託して19年4月にシンガポールへ異動となりました。私の責任範囲はアジア太平洋統括として拡大しました。
がしかし、一年も経たない20年4月に、三度の韓国への異動を通達されました。またもや、韓国人部下の懲戒に伴う人事です。 もう二度と韓国駐在はないと思い安心していましたが、なんと同じ国に三回も駐在することがあるんだな~、ずいぶんと私に取って縁がある国なんだと通達を受けて強い思いました。 今もさまざまな問題が毎日のペースで発生しつつ、解決日々を過ごしています。
日韓関係は常に政治的に翻弄されつつ、それゆえに在韓日系企業の舵取りはどの国よりも難しいと感じます。 12年間さまざまな局面で味わった経験と乗り切ったノウハウを今後の人生に活かせればと思います。 どうぞよろしくお願いします。
お手伝いできること
日系企業の韓国進出のアドバイス
在韓日系企業への経営アドバイス
駐在員への生活アドバイス
駐在員ご家族への生活アドバイス
経歴
大手日系産業機器製造メーカー勤務
(1992 – 1998)
海外営業部にてインドネシア、サウジアラビアでのプロジェクトに携わる
大手日系精密機器製造メーカー勤務
(1998 – 現在)
医療事業の海外営業としてアジア・太平洋地域中心にマーケティングに携わる
在韓国ソウル現地法人赴任・駐在
(2004 – 2008, 2012 – 2019, 2020 – 現在)
医療事業の新規立上げ、経営スキャンダルに伴う経営再建、成長戦略に伴う事業拡大に挑戦中

